9/18/2012

日本建築学会大会(東海):建築学会賞受賞記念講演(その1)

AIJ大会中日に、建築学会賞受賞記念講演を15分、行いました。15分という限られた時間で何をしゃべるか、ということ自体が試されているんじゃないか、と思えました。
15分で説明できてしまう結果というのは、よっぽどすごいものだと思うわけです。残念ながら私の業績というのは、そこまでエレガントに洗練されているものではなく、いくつかの工学的・科学的業績から蓄積されたもので、少し散文的であります。

業績を一から説明するよりは、私がどういうことを考えて、今後どのような研究を考えているかということを示すことで記念講演にしようと思った次第です。いつものように笑いをとることはあんまり考えませんでした。

結果として、何人かの方に感想をいただきましたが、7対3くらいで好意的でした。残りは、やはり業績について説明してほしかった、というものでした。




名古屋大学に移ってきて、私は自分の研究を新たに構築していくにあたり、大学研究とは何かということを考えざるを得ませんでした、また、建築という業界の特殊性を外部から見る視点は、大学で教授会に参加するにあたり、得られたものでした。

建築学の意義は大学においてどこにあるのでしょうか。すでに多くの建物が立っていますが、それでも必要な建築学というのは何でしょうか。たとえば、名古屋大学の化学分野ではかつては無機化学が全盛でしたが、いまや有機化学の講座のみで無機化学の講座はありません。学科の名前は一緒であっても、中身はまったく入れ違った別の学科になっているわけです。

大学院大学においては、多くが研究、そして教育が望まれています。建築教育というのはなんでしょうか。一級建築士が取れるような授業なんでしょうか。それなら、専門学校で十分なわけですよね。CAD教育が望まれているのは、専門学校であって名古屋大学ではないはずです。
ですから、大学院大学において建築学科が存在するためには、専門学校とは別の存在意義がなくてはなりません。姉歯事件が起きないような教育、というのは目線として低すぎるでしょう。現在の建築という分野は、建物一つで成り立つでしょうか。環境分野、エネルギー分野、災害、経済分野と密接に関係しているのはご存じのとおりです。ですから、世の中のさまざまな諸現象と関わりある人間活動の容器である建築は、さまざまな現象と密接にかかわり合い、その概念が拡張されるにともなって多くの解決すべき課題が出てきますが、これらを原理原則から考える研究体系としては建築学はまだまだ重要な学問であると言えます。

目線はさまざまにあってよいですが、大学院大学における研究のあり方という観点で律しておかないとまずいんじゃないか、と思いました。

1.大学研究:第三者評価の視点、別の大学の役割

私は超高強度コンクリートの研究をいくつか実施しました。自己収縮でコンクリート内部にひび割れが入るという懸念が昔からあったわけですが、それを実際に確認した人はいませんでした。鉄筋を埋め込んだ部材で、鉄筋ひずみの測定結果を線形クリープ解析で追跡すると、ある段階から推定精度が悪くなることは昔から知られていました。それを検証したところから、私の超高強度コンクリートの研究が開始されました。

そもそも、コンクリ-トの温度ひずみ、乾燥ひずみは、古くは北大の大野先生がひび割れの研究として実施しました。その後、自己釣合力応力の問題として、東大・梅村先生、青山先生が自己歪応力という名で研究をなされ、鉄筋が十分に塑性能力を発揮する条件においては最大耐力に影響が無いこと、剛性自体は低下することなどが明らかになっています。青山先生はラーメンの自己歪応力評価手法をすでに提案しています。

しかし、このことが逆にコンクリ-トの収縮を耐久性の問題としてのみに追いやりました。「鉄筋が十分な塑性能力が発揮する状態」という条件を忘れて。

たとえば、超高強度コンクリートでは、コンクリート強度と鉄筋強度の比が、通常のものと大きくことなります。これは、全体的に脆性化しているといえます。鉄筋も降伏ひずみが十分発揮されるものではないものです。ここでも余裕は異なっています。
こうしたことを考えれば、超高強度コンクリートを安全に使うために、さまざまなリスクシナリオを構築する必要があります。

すでに、自己収縮によって生じる鉄筋周囲のひび割れに起因すると推察される、かぶりの爆裂的挙動に関しては、設計的にどのように考えるべきかを大成建設さんが提案しており、材料的対策としては鋼繊維を入れるという手法が竹中工務店さんから提案されていました。
しかし、どのようにして安全につかっているかという第三者の立場から、大学の研究者は超高強度コンクリート、あるいはそれを用いた部材について俯瞰的に評価できる体制というのは十分ではないと思いました。

先の震災では、「想定外」という言葉が利用されましたが、素人の人が使う「想定外」と技術者の使う「想定外」は意味が異なります。素人の人がいうのは、まったくわかっていなかったシナリオのこと、技術者の想定外は、想定はしていても、その発生頻度や重要性にもとづき、設計において考慮する必要が無いと判断したものと私は解釈できると思います。
(なお、追記しますが、配慮する必要が無いというのはそれを無視しているというわけでなく、メカニズムが不明なので安全率の増加によって、安全性を担保して実務に供するというものです。)

超高強度コンクリートは、そういった観点から、技術者の想定外がいかにあるか、そのリスクシナリオをどのように考えるか、ということを誰かがやらないといけない、と思って研究を進めてきました。
技術者がどのように設計上の安全を考えているか、ということは、本来であれば施主に十分説明が行われ、合意があってしかるべきです。
どうせわからないから、とか、安全のレベルを理解できないから、省略して良いというわけではありません。
その観点からも、大学の研究者は、広くこういったことを周知・教育していくべきです。
大学の役割は、技術者の育成だけでなく、施主の理解向上にもあるはずです。

相当の技術レベルのある日本ではありますが、施主の理解があれば、さらなる技術投資と技術発展が見込めるとは思いませんか。

日本の大学の役割は、変わりながらもまだまだ、多くのやることが残っています。



1 件のコメント:

  1. 大学からの人材供給について、企業側の見方は次の3種類に分類されると思います。
    1.学校には何も期待していない。使える人材になるかどうかは結局こちらでの教育で決まる。国語、算数、およびPCの使い方がある程度以上のレベルにあれば十分だ。
    2.せっかく高等教育機関に所属し卒業してきたのだから、実務経験数年後には一建士くらい取得できる程度の「教養」を身に付けてきてもらわないと困る。
    3.上記の1.でも2.でも何でも構わないが、将来的な企業存続の観点から(あるいは経営者側から警告されるから)、ある程度以上のレベルの基幹大学からある程度以上の質的量的人材を欲する。
    私の周辺を見渡してみると、どうかな、割合は1≧2>3だと思います。
    Suzuki

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